物事の本質を究める(きわめる)
物事の本質を究める(きわめる)
私たちは一つの事を究めることによって、初めて真理や物事の本質を体得する事ができます。究めると言う事は一つの事に精魂こめて打ち込み、その核心となる何かをつかむ事です。一つの事を究めた体験は、その他のあらゆることに通じます。一見してどんなにつまらないと思う事であっても、与えられた仕事を天職だと思い、それに全身全霊を傾ける事です。それに打ち込んで努力を続ければ、必ず真理が見えてきます。一旦ものごとの真理が分かるようになると何に対しても、またどのような境遇に置かれようと、自分の力を自由自在に発揮できるようになるのです。
完全主義を貫き、真面目に一生懸命地味な努力を積み重ねれば物事の本質に達することができます。
「完全主義を貫き」、「真面目に一生懸命仕事に打ち込み」、「地味な努力を積み重ねる」という、 この三つのことを四六時中やっておりますと、物事の本質を究めるところに到達していきます。仕事に打ち込んで、そしていい加減ではなくて、完全主義を貫いて必死に打ち込んでやっていく。四六時中打ち込んで、3年が経ち、5年が経ち、10年が経ち、15年経っていく。そして物事の本質を究めていくようになっていくのです。それは、あたかも禅宗のお坊さんが禅を通じて悟りをひらかれるのと同じようなことにつながるのだろうと、私は思っています。
私自身5年、10年と不動産の住宅開発、また会社経営を一生懸命にやっているあいだに、何かある核心みたいなものをつかんだような感じになっていったように思います。あるとき、テレビか何かで、宮大工の方が対談中、素晴らしいことを仰るのを聞きました。その方は小学校を出てから宮大工一筋に仕事をしてこられ、もう齢は 60、70です。その方が素晴らしい哲学の先生と対談をしておられました。そして、大学の哲学の先生もタジタジするぐらいに素晴らしいことを言われるのです。私は、「これだな」と思いました。「一芸に秀でる」ということです。ものを究めるというのは、ただ単に物を削ったり、カンナをかけたり、宮大工で素晴らしいものが作れるようになるというだけではなくて、人間性まで素晴らしいものに作り上げられていきます。
つまり、一芸に秀でるとか、物事の本質を究めた人は、万般あらゆるものに通ずるのだなという感じがしました。私自身、ぜひ、そういう境地にまでならなければいけません。「広く浅い知識」は「何も知らない」と同じことです。ひとつのことに打ち込み、それを究めることによって、人生の真理を見出し、森羅万象を理解することができます。
ひとつの仕事や分野を深く追求することにより、すべてを知ることができるのです。
広くて浅い知識は、何も知らないことと同じなのです。
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